守り人(笠黄)


※インターハイ、桐皇との試合後



ざわざわと"また"耳元でさざ波のようなノイズが聴こえる。

こういう時だけ気の利く森山が部員達を引き連れ出て行った控室で、一人残った笠松は込み上げてくる感情を圧し殺すように唇を震わせ、握り締めた拳をガツンとロッカーの扉に叩き付けた。

「…っく…ふ…ぅ」

それでも堪えきれずに堅く閉ざした眦から涙が零れ、無意識に噛んだ唇からは涙に濡れたくぐもった嗚咽が漏れた。

「……っ」

ロッカーに拳を叩き付けたまま笠松はずるずるとその場で膝を折り、床に膝を付く。
皆のいる前では主将らしく、次に向けての言葉を吐いた。

インターハイベスト8。
胸張って帰るぞ。
借りは冬返せ。

それはまごうことなき笠松の本心でもあった。
同時に、それらに付随する負の感情を綺麗に心の中に抑え込んでいた。

償えるとは思っていない。
赦されようとも思っていない。
ただ、インターハイで勝ち続け、優勝という二文字を手に入れることが。
去年全てを無にしてしまった自分なりのケジメであり、主将としての存在意義。

過ぎてしまった時は、どんなに悔やんでも戻らないことを知っている。
今、脳裏を過ったOB達の批難の声もそれらは既に過去のもの。

数十分前に終わった桐皇との試合が過去の映像と混じり合う。

「……違うっ、」

ガツン、と握り締めた拳で再びロッカーを叩き、笠松はふるりと頭を左右に振った。

「負けた責任は主将である俺が負う。黄瀬一人に背負わせたりはしねぇ」

去年の自分のようにバスケをすることが苦痛になり、ぼろぼろになってしまわぬように。
あの研ぎ澄まされた綺麗な琥珀色の瞳から、輝きが失われることのないように…。

ざざざっと耳元で鳴るノイズが酷くなり笠松は、握り締めていた拳を解くとその手で両耳を押さえた。

「黄瀬は…俺が、ぜってぇ…守る」

途端にざわついていたノイズがぴぃんと糸を弾いたような甲高い音に集約され、その音を最後にふっと笠松の意識は黒く塗り潰された。





ガタンッ、と控え室の中から聞こえてきた何かが倒れるような音に、森山の制止を振り切り一人控え室へと戻ってきた黄瀬は躊躇いもなく控え室の扉を開く。

「っ、センパイ!」

開いた瞬間、控え室の中で倒れている笠松を見つけ、黄瀬は慌てて笠松に駆け寄った。
側へと膝を付き、慎重に笠松の体を起こす。

「センパイ!センパイ、大丈夫っスか!?」

「…ぅ…あ…?」

のろのろと笠松の右手が持ち上がり、笠松はその手で自分の目元を覆うと口を開いた。

「おれ、は…」

「大丈夫ッスか?何か音がして、倒れた拍子に頭打ったりとか…」

自分を抱き起こし支える腕とすぐ側から聞こえる声に笠松は目元から手を下ろすと、心配そうに見下ろす琥珀色の瞳をジッと見つめ返す。

「………きせ?」

常に真っ直ぐ人の目を見てくる笠松だが、何だかいつもより緩慢な動作に加え、僅かにぶれる眼差し。黄瀬はそれに微かな違和感を感じた。

「…そうっス。大丈夫っスか、センパイ?」

「……あぁ。悪い、ちょっと立ち眩みがして」

もう大丈夫だ、と体を離した笠松に黄瀬も立ち上がる。
ベンチの上に置いていたエナメルのバッグを肩に担ぐ笠松の様子を黄瀬は心配そうに見つめる。

笠松の目元も自分達と同じように、涙を溢した後のように赤くなっていた。
センパイは一人で泣いたのだろうか。

センパイ、と黄瀬が声を出すより先に見上げてきた薄墨色の瞳に先を制される。

「きせ」

絡まった薄墨色の双眸がゆっくりと瞬きをし、ゆらりと揺れた瞳が真っ直ぐに黄瀬を捉えた。

「森山達も待ってンだろ?帰るぞ」

「……っス」

上から下へと視線が動き、扉へと向き直った笠松の背中に黄瀬はまたしても違和感を感じた。
どこがと訊かれても明確に言葉には出来ないが、黄瀬は僅かに眉を寄せ、間を開けてから頷き返した。

模倣を得意とする黄瀬の観察眼は意識せずとも笠松の姿を目で追っていた。






インターハイから数日…
黄瀬は青峰のコピーで身体にかかった負担を考慮して、二、三日は身体を休めるよう笠松から部活禁止令を出されていた。
それが自分の為だと黄瀬は分かってはいたが、負けた翌日からボールに触りたくてしょうがなかった。

もう誰にも負けたくない。
その為に練習をしたい。
…なにより、センパイ達を泣かせたくない。
もう二度と笠松をあんな風に一人で泣かせたりしたくない。

「………」

考え事をしながら歩いていた黄瀬は、自分の足が無意識に体育館へと向かっていることに気付いて苦笑を溢す。
このまま体育館に顔を出したら、何しに来た?と不機嫌な顔をした笠松に睨まれるかなと想像できて黄瀬は更に頬を緩めた。

「見学するぐらいならいっスよね?」

誰にともなく言い訳を口にして、体育館の入口が見えてきた所で黄瀬は見慣れた姿を前方に見つけた。

「あ!センパ…イ?」

しかし、声をかけようとして笠松が自分の見知らぬ私服姿の男二人と一緒にいることに気が付いた。

「誰っスかね?」

自分よりも笠松よりも年上そうだ。
そして何より、笠松の様子が何処と無くいつもと違うように感じられた。

インハイ後から笠松に付き纏っている妙な違和感。

足を止め、一層強くなった違和感に首を傾げた黄瀬は、不意に笠松から寄越された鋭い視線に目を見開いた。

「っ――!?」

一瞬、重なった薄墨色の双眸は鋭く黄瀬を睨み付けたあと、何事も無かったかのように黄瀬から離れていく。

「え……?」

これまで何度も笠松を怒らせたことはあれど、こんなに鋭く射ぬくような眼差しで睨み付けられたのは初めてで、黄瀬は笠松に声をかけることも出来ずに呆然とその場に立ち尽くした。

その間に、笠松と二人の男は何処かへ移動してしまったようだった。






顔色も悪く体育館へと顔を出した黄瀬に、先に体育館へと来ていた森山と小堀が心配そうに黄瀬へと声をかける。

「お前、大丈夫か?笠松に休めって言われてんだろ?」

「見るからに顔色悪いし、笠松に怒られる前に帰った方がいいよ」

側に寄ってきた二人の先輩に黄瀬はポツリとしょげたような声を出す。

「俺…なにか笠松センパイ、怒らせるようなことしましたか?」

いつもの妙な敬語もなく、本気でへこんでいる様子の黄瀬に訊かれた二人は顔を見合わせる。互いに心当たりはないと視線で会話を交わして、小堀が口を開く。

「笠松に何か言われたの?」

「違うんスけど…さっき、そこで見かけて思いっきり睨まれた…」

「さっき?おかしいな。笠松ならまだ来てないぞ」

そこでと体育館の側を指した黄瀬に森山が口を挟む。小堀も珍しく遅いよなと同意しつつ、黄瀬と話を続ける。

「見間違いとかじゃない?」

「ないっス!俺がセンパイを見間違うとかないっスよ!他に知らない私服姿の男が二人いて…っ!?」

「どんな奴だった!?」

説明途中だった黄瀬はいきなり森山に両肩を掴まれる。焦ったような顔で問い詰められ、黄瀬は困惑しながらも答えていく。

「どんなって、センパイより年上っぽくて、体つきもがっしりしててスポーツマンって感じで。片方は眼鏡をかけてて…」

思い出しながら特徴を口にすれば、森山が忌々しそうに舌打ちをした。小堀も表情を険しくさせ、いつになく低い声で言う。

「まずいかも知れない」

「ったく、何であいつばっかり!悔しいけど、今年のインハイはベスト8だぞ!」

「えっと…?」

いまいち話に着いてこれてない黄瀬に森山が真相を伝える。

「お前は笠松に追い払われたんだよ。こっちに来るなってな」

「なんで?」

「笠松と一緒にいた男二人、たぶん、海常バスケ部のOBだ」

男二人の素性が明らかになった途端、黄瀬もさっと表情を変えた。
去年のインハイのことや三年、OBの話も黄瀬は笠松から聞いて知っている。
なにより責任感の強い笠松が部を辞めようとまで追い詰められたというのが衝撃的で。

「まさか、あの人ら、またセンパイに…!」

一本の線に繋がった話に黄瀬はいてもたってもいられず、込み上げる衝動のままに体育館を飛び出す。

「OBと会うなら校舎の面会室だ、黄瀬!」

その背中に森山の声が飛び、あっという間に走り去った黄瀬に森山は息を吐く。その肩を小堀が軽くぽんと叩いた。

「黄瀬なら何とかしてくれるかな」

「してくれるんじゃなくて、させるんだよ。エースを守るのが主将なら、主将を支えるのがエースだろ」




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